武田勝頼、滝川一益

武田勝頼

 甲斐武田家が滅亡した後、勝頼の首は京で晒された。信長は朝廷に手をまわして、勝頼を朝敵にさせたらしいが、武田信玄の嫡男がこのような有様になるとは、京の都でも衝撃はかなり大きかっただろう。本能寺の変は、これをみて、危機感を覚えた朝廷が明智光秀を操ったのではないだろうか。


滝川一益

 甲州征伐を指揮した滝川一益は本能寺の変で運命が変わる。毛利と講和した秀吉にたいして、北条との講和に失敗。しかし、毛利勢と早期講和をはかって、明智を討った秀吉はやはりすごい。






 




 


 

 


 





[ 2016/03/10 22:24 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

戦国時代に没落した名門の武家・公家

下間頼廉(しもつま・らいれん) 信長の野望・創造の能力値


信長の野望・創造にはまっていて、かなりプレイしているのですが、役立つのが下間頼廉なんですね。
本願寺を率いて信長に対抗した坊主です。戦国時代までは寺社はかなりの武力をもっていました。信長は比叡山延暦寺を焼き討ちにして、本願寺とも戦っていますが、室町幕府将軍の足利義教も比叡山延暦寺を攻めていますね。
信長が死んだ後は秀吉から本願寺を任されるようになったようですね。信長の野望をプレイするまでまったく知らなかった人物です。


さて、本題の戦国時代に没落した名門の武家・公家シリーズです。


斯波義銀(しば・よしかね) 信長の野望・創造の能力値

尾張守護でもあり、管領でもあった斯波武衛家の最後の当主。守護の部下である守護代のその部下である奉行の織田信長に権力を奪われてしまった。足利分家、源氏の末裔。源氏の末裔といっても、力がないと何の意味もない。
信長、秀吉、家康といった下級武士が出世して、名門武家が没落していったわけですね。


細川昭元(ほそかわ・あきもと) 信長の野望・創造の能力値

管領でもあった細川吉兆家の最後の当主。足利分家、源氏の末裔。三好、織田に権力を奪われる。信長の蹴鞠の相手をつとめたという。今川氏真パターン。


一条兼定(いちじょう・かねさだ) 信長の野望・創造の能力値

土佐の一条家の最後の当主。
関白の一条教房が、応仁の乱を避けて中央から下向したことに始まるのが土佐一条家。
関白の末裔なんですよね。斯波家よりも名門ですよ。名門ですが、土佐の国人領主である長宗我部元親に追い出されてしまいました。斯波義銀のような扱いですね。織田氏や長宗我部氏も旧主をないがしろにしすぎですよね。
信長の野望・創造では知略:1、統率:2と酷い評価されていますw


少弐冬尚(しょうに・ふゆひさ) 信長の野望・創造の能力値

少弐氏第十七代(最後)の当主。鎌倉時代から続く名門武家。一介の御家人の身分でありながら、本来公家の官職である大宰少弐に任じられたことから、武藤から少弐と名乗った。元寇で日本軍の総大将として指揮をとった少弐景資の末裔。元寇の功労者であった執権北条家や少弐家が現代まで続いていないのが悲しいですね。竜造寺隆信に敗れて自害。斯波氏と比べては武家らしく戦場で死んだ。

織田、竜造寺、長宗我部にしても、名門武家・公家である旧主を追放した彼らの末路は悲惨なものでした。旧主をないがしろにした報いで、自分が攻められる際に、容赦されないのだろうか。徳川家康が名門武家を高家としてとりたてて保護したのも、彼らの末路から学んだからなのか。






 




 


 

 


 





[ 2016/03/05 09:13 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

尾張守護 斯波義銀

織田信長の時代の尾張

将軍      足利氏 
          ┃
管領      斯波氏・細川氏・畠山氏 
          ┃
守護      斯波氏 
          ┃
      ┏ ━ ┻ ━ ━ ┓
守護代 清洲織田氏  岩倉織田氏  
      ┃
重臣  清洲三奉行         


管領は斯波(武衛)氏・細川(吉兆)氏・畠山氏でまわしていた。信長存命中は細川氏が管領。
清洲織田氏:織田信友
岩倉織田氏:織田信賢
清洲三奉行:織田信長、織田忠辰、織田広信

織田信長は守護の斯波氏の家臣の清須織田氏の奉行をやっていた家柄。

戦国大名ってもともとは守護なのかとおもってたら違うんですよ。武田信玄や今川義元は守護の家柄だけど、織田信長は守護の部下の部下の家柄。応仁の乱で守護が京都で戦争やっている間に、地方では守護の部下たちが好き勝手やっていたわけです。

武田信玄からしてみると、自分は鎌倉時代から続く源氏の名門なのに、織田信長という守護の家来の奉行の家柄のやつが何を好き勝手やっているんだという感じでしょうね。

織田信長は荒木村重、明智光秀と謀反が相次いだけど足利義教と同じタイプの人で、本能寺がなくても謀反起こされたかもしれないと思う。秀吉は生前は謀反起こされていなかったので、やはり人間的な魅力があるんでしょうねえ。


斯波義銀の肖像画は戦国大名の肖像画と違っているんですよね。どちらかと言うと、鎌倉時代に近い。形式は鎌倉幕府の得宗・北条時頼のものと似ていると思う。出家した戦国大名がイスにすわっている肖像画ってみたことないですが、イスにすわって、靴を台座においている、この形式は鎌倉時代からつづく由緒あるものなんだと思います。



斯波義銀


北条時頼

~~~


将軍      足利義昭
          ┃
管領      細川氏綱
          ┃
守護      斯波義銀
          ┃
      ┏ ━ ┻ ━ ━ ┓
守護代 織田信友   織田信賢  
      ┃
重臣  織田信長、織田忠辰、織田広信
      ┃
家臣  豊臣秀吉 ━ ━松の丸殿(側室)

織田信長の息子の北畠信雄(織田信雄)の「北畠」って戦国時代しか知らないと何とも思わないのですが、これは公家の名家です。北畠顕家の家柄なんですね。北畠顕家は太平記で足利尊氏で戦って敗死した人物。鎮守府将軍です。

天下人の秀吉って本当に身分が低いです。実際、己の才覚だけで出世したわけだから、スゴイ人なんだと思います。秀吉は容姿が醜くて、同僚の男からの嫉妬を買わない、愛されるキャラだったんでしょうね。秀吉がイケメンだったらそれはそれで、周りからつぶされたかもしれない。

秀吉が寵愛した側室の松の丸殿は、京極高次の姉です。京極家は足利分家で名門です。






 




 


 

 


 





[ 2016/02/28 10:53 ] 日本史 | TB(0) | CM(1)

真田丸

 真田丸をみていて、考えさせられるところがありました。

 武田勝頼は、真田丸では木曽義昌、穴山梅雪、小山田信茂といった武田の一門衆がつぎつぎとうらぎって、勝頼は行く場をなくした。

 武田家は甲斐源氏で鎌倉時代から続く名門なのですが、甲斐にはそこらじゅうに源氏の末裔がおり、彼らをまとめるのは至難の業なんでしょう。

 平家は一門から裏切りがでない。平清盛一門、鎌倉北条家。裏切りはほとんどでない。両者は共通している。

 源氏は裏切り者だらけで兄弟で殺しあう。頼朝は兄弟を殺したし、足利尊氏は弟を殺し、妹の夫が鎌倉幕府執権の赤橋(北条)守時にもかかわらず、北条をうらぎった。

 勝頼の一門衆である木曽、穴山、小山田も源氏だが、勝頼を裏切るときは、源氏の血塗られた歴史を持ち出して、自己を正当化したんだろうなあと、フと思いました。


 織田信長はそもそも尾張の守護でもなんでもない、どこの馬の骨ともわからん下級武士。今川、斯波、細川、京極(佐々木道誉の末裔)が足利一門ですね。源氏です。

 その織田信長に源氏の名門が敗れて、さらに、日本を支配するのが豊臣秀吉というのが面白いですねえ。しかし、政治が安定するのは新田義貞末裔を詐称した徳川家康。そこも面白いところですねえ。

 源氏は名門扱いされるけど、政治家としては微妙な人が多いと思うし、血塗られた歴史すぎて、ちょっとひきますね。
 日本の為政者のなかでは徳川家と北条得宗家が際立って優れていると感じますねえ。

 次の真田丸は武田を滅ぼした滝川一益の没落が描かれますねえ。栄枯盛衰だ。
 



 




 




 


 

 


 






 
 

[ 2016/02/18 23:30 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

日本の歴史

 日本の歴史は戦国時代と幕末と源平合戦くらいしかしらなかったのですが、youtubeにあがっている大河ドラマの草燃える、太平記、北条時宗で、鎌倉時代と室町時代の流れをようやく理解することができました。

 平安時代以前はいまだに教科書の単語レベルのことしかわかっておらず、大河ドラマで取り上げてくれないかと思っています。


■ 鎌倉時代ですが、源頼朝が英雄だと思っていましたが、鎌倉幕府をつくったのは北条家なんだと理解しました。鎌倉時代の武士は好戦的な人たちで、源氏将軍に忠義を尽くすという感覚は無く、源頼朝の男子を次々と抹殺していきます。そして、北条家が将軍を傀儡とした専制政治を確立します。北条家は身分が低く、自らが将軍になりませんでした。(身分や官位が崩れるのは、応仁の乱で都がめちゃくちゃになってから)
 北条家は家格としては鎌倉御家人よりも圧倒的に低いため、将軍にはならず、官位も望まず、ぎりぎりのバランスで政治を行ってきた。北条家が事実上の政治のトップであることについて、正統性がないため、撫民、つまり、民衆や武士のために良い政治を行うことで支持を得ようとしてきた。実際、北条家は日本史のなかでも善政を敷いたほうだと思う。鎌倉幕府内の権力争いでは、陰謀うずまいていたが、北条泰時、北条時頼、北条時宗など、敵対する朝廷からも賛美されるような名君がいる。
 そして、北条家は承久の乱で朝敵になるも朝廷に完全勝利、また、元寇では優れた統率力で、西国の防備を固め、モンゴル軍を撃退した。鎌倉幕府でなかったら、少なくとも博多はモンゴル軍に占拠され、実際、日本はモンゴルに征服されたと思う。
 鎌倉幕府の滅亡の原因ですが、北条一族が短命であることが原因だと思う。執権や得宗はほとんどが30代~40代で亡くなっている。北条時宗、北条貞時も30代でなくなった。少なくとも、時宗、貞時が60歳くらいまで生きていたら、鎌倉幕府の統率は崩れず、足利尊氏も離反するに至らなかったはずだ。北条家の短命の原因は、安達一族や北条一族などの近親婚だろう。
 北条一族は、まるで平家のように、一族がきれいに滅んだしまった。鎌倉幕府は得宗の北条高時らをはじめとして、一族数百人が自害して、滅んだ。大河ドラマの太平記で片岡鶴太郎が北条高時を演じているが、熱演しています。最後の執権赤橋守時も戦死しており、さながら東ローマ帝国の滅亡のようである。
 滅亡後、北条高時の遺児が中先代の乱を起こし、鎌倉を一時的に奪還するが、力足りず、足利尊氏の前に敗れ去った。このとき、北条家が勝利し、撫民を掲げる北条政権がつづいたほうが民にとってはよかったのではないかと思う。

北条時宗第5話「波乱の旅」時頼の廻国伝説の逸話 
(得宗:北条時頼:渡辺謙)



太平記22話 壇ノ浦の平家のように、北条一門は滅んだ
(最後の得宗:北条高時(片岡鶴太郎))



■ 次代の室町幕府は鎌倉幕府とちがって、京都に政権をおいたため、公家化した。初代の足利尊氏は鎌倉幕府の最後の執権赤橋守時(北条一門の支流)の妹を妻とし、その息子義詮が2代将軍となった。尊氏は、側室の息子である直冬を冷遇したため、直冬は室町幕府に対して、反乱を起こすなど、最初から安定していない政権だった。足利将軍は暗君が続き、応仁の乱で京都は滅茶苦茶になってしまう。朝廷や幕府の権威は失墜し、京都で戦っている守護大名のすきをついて、身分の低い侍たちが下克上を起こすようになる。


■ 鎌倉時代や室町時代を知ると、戦国時代がさらに面白くなった。源氏の斯波、武田、六角、今川などが没落し、身分の低い織田、徳川、豊臣が興隆する。織田、徳川、豊臣と、鎌倉北条氏の違いは、応仁の乱で、京都が滅茶苦茶になり、身分や官位の重要性が失われたことだと思う。源氏の名門の足利が京都を滅茶苦茶にした。身分の低い北条氏の政治のほうがマシだったと人々は思っただろう。

■ 江戸幕府は室町幕府のような悪政もなく、善政を敷いた。日本の歴史で最も平和な時代である。
 

 

[ 2015/09/20 19:37 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

次の大河ドラマの主人公は足利尊氏の妻である赤橋登子はどうだろうか?

 大河ドラマの太平記はほんと面白い。足利尊氏が真田広之、妻の赤橋登子が沢口靖子なのですが、見ていて引き込まれますな。

 太平記は北条側を好意的に描いており、北条高時、長崎円喜ら、鎌倉滅亡の原因をつくったとされる人々もかっこよく描いている。特に、北条高時を演じる片岡鶴太郎は見事です。 



 昔は重厚な路線だった大河ドラマも、女性の視聴者に好評だった「利家とまつ」以後、女性ファンを意識した作品が多くなってきている。ということで、赤橋登子を主人公とするのはどうでしょうか?

 赤橋登子は最後の執権である赤橋(北条家の分家)守時の妹で、足利尊氏の妻、足利義満の実の祖母。尊氏の側室の子である義冬の反乱や、北条高時の息子が起こした中先代の乱など、1年を通して内容はもりだくさんだと思う。



[ 2015/08/13 20:51 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

自民党衆議院議員 武藤貴也先生

http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html
 最近考えることがある。日本社会の様々な問題の根本原因は何なのかということを。

 そして、いつもその原因は「日本精神」・「日本人的価値観」を失ったことにあるのではないかと思うのである。

 かつての日本人は「武士道精神」にも表わされているように、道徳的に非常に優れた価値観を持っていたように思う。それは「徳」の高さを至上のものとする価値観だ。「徳」とはまさしく「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」等々といった古来からある「日本人的価値観」である。今の政治を見ていると想像もつかないが、かつて日本の武士は「法」より高い次元の「徳」や「礼」で裁かれた。いわゆる「法治主義」では無く「徳治主義」だった。


 鎌倉武士の武士道精神とは、「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」のカケラもないですよ。

 源頼朝、北条時政、北条義時、三浦義村・・・かれらには、強い者が正義だという文字しかない。同僚、兄弟で殺し合い、主家をのっとり、朝廷にさえ弓をひく。そして、最後は天皇を島流し。

 武士はそんなに美しいものじゃないし、北条義時や三浦義村のやってきたことを調べると本当に恐ろしくなる。


 鎌倉武士の北条泰時がつくったのが御成敗式目であり、現在の民法にも影響を与えている法律である。武士は身分が低いから、徳で政治をすることはできず、得宗が御家人の合意を得てつくった法律によって、「法治主義」で政治は動いた。徳治主義という根拠の無いルールでは政治は行えない。

 武藤先生が妄想し、美化する武士道はそもそも朱子学そのものであり、日本の伝統ではない。朱子学を知らない鎌倉武士の武士道こそが、本来の日本文化ですよ、本当に野蛮ですが。



 日本国民は余り知らないが、戦後の「台湾」はそれら日本人的価値観を「日本精神」(「リップンチェンシン」)といって未だに語り継いでくれている。

 話は変わるが、今マスコミで毎日のように取り上げられている大津の「いじめ」問題も、根本的な原因は「日本精神」を失ってしまったことに由来するような気がする。

 「日本精神」じゃなくて、法の支配が学校に及ばないから。


 昔読んだ本の中に「いじめはなぜいけないか、それは『卑怯』(ひきょう)だからだ」と書いてあった。強い者が弱い物をいじめる行為は、ただただ「卑怯」だからダメなんだと。

 「卑怯」という言葉を調べてみると、「勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。」と書いてあった。まさしくこの「卑怯」という概念について、学校や親や社会は子どもたちにしっかり受け継いでいるだろうか。

 今回の「いじめ問題」について、責任の所在の明確化も確かに大切である。その責任が、いじめた子どもにあるのか、知っていて無視した教師にあるのか、あるいは管理者である文部科学省や市長や教育長や教育委員会にあるのか、あるいは助けを求めたにもかかわらず対応しなかった警察にあるのか。それはそれでしっかり検証し議論されるべきである。

 しかし私は、先に述べたように、根本的な「精神的荒廃」についての議論をしなければ何度も陰湿な「いじめ」が繰り返されるように思うのである。

 ではどうやって「日本精神」を取り戻すのか。

 精神論は不要。戦前と変わらない。

 そもそも「日本精神」が失われてしまった原因は、戦後もたらされた「欧米の思想」にあると私は考えている。そしてその「欧米の思想」の教科書ともいうべきものが「日本国憲法」であると私は思う。 

 日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。

 戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。

 まず「国民主権」について。「国民主権」とは「国家の政策決定権は国民一人一人にある」という民主主義の根本思想であるが、長谷川三千子先生によれば、そもそも「民主主義とは、人間に理性を使わせないシステム」である。つまり民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていないからである。しかしながらこのことは、世界の歴史を見ると第一次世界大戦以前は常識であった。第一次世界大戦前は、民主主義はすぐに衆愚政治に陥る可能性のある「いかがわしいもの」であり、フランス革命時には「恐怖政治」を意味した。民衆が「パンとサーカス」を求めて国王・王妃を処刑してしまったからである。戦前の日本では「元老院制度」や「御前会議」などが衆愚政治に陥らない為のシステムとして存在していた。しかし戦後の日本は新しい「日本国憲法」の思想のもとで、民主主義を疑わず、またその持つ問題点を議論することなく、衆愚政治に陥ることを防ぐシステムもつくらず、ただただ「民意」を「至高の法」としてしまった。
 
 戦前日本の政治システムが破綻していたから、アメリカに戦争ふっかけたんだろうが。ここまでの戦前賛美を国会議員がやっていいものだろうか?ドイツがナチス賛美を禁止するように、日本も戦前賛美を禁止したほうがいいのではないか?
 

 次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。それは言うまでも無く「国民の生活が第一」を高らかに叫ぶ今の政治に如実に表れている。

 武藤先生は、沖縄や満州の住民が国家主義の前にどういう目にあったか知らないのか?滅私奉公の行き着いた先が、沖縄、満州の悲劇だ。

 そもそも、いざというときに、日本人を守らなかった歴史を今の日本人は知っている。誰が、そんな国家に命を尽くすのか?そして、敗戦に導いた指導者は戦後も生き延びたではないか。



 三番目の「平和主義」については、言わずもがなである。国際社会は、冷酷に国益と国益がぶつかり合う「無政府状態」の「争奪・略奪社会」である。そこに日本精神である「正直さ」や「譲り合い」といったたぐいの精神は微塵も存在しない。それは尖閣諸島問題を見れば明らかである。にもかかわらず「日本国憲法」は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べ、「戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認」を規定した。冷静に考えれば、これでは到底他国の侵略に備えることは出来ない。そのことがわかっているからこそ、日本は自衛隊をつくり維持して来たはずである。

 以上述べたように「日本国憲法」の問題は9条の問題だけではない。「日本国憲法」の思想そのものが「日本精神」を破壊してしまったと私は考えている。

 今の荒廃した政治、社会をよく見つめなおし、国家の在り方の基本である憲法をしっかり論じることが必要であると思う。そしてそのことが「日本精神」・「日本人的価値観」を取り戻す「カギ」になると私は思う。

 日本精神、日本人的価値観でなく、物質的、経済的に考えないと駄目。

 

[ 2015/08/01 18:09 ] 日本史 | TB(0) | CM(2)

日本の伝統は、天皇のために命は捧げない。



「日本の国柄と言うのは本来『国民が天皇のために命を捧げる』、そういう国体である。」by長谷川三千子

保守系学者「日本人よ天皇陛下に命を捧げよ。それが日本人の使命である」 [転載禁止](c)2ch.net [509143435]
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1434720272/


 

 国民が天皇のために命を捧げる?そんな伝統なんてあったんですか?数百年前に承久の乱で、北条得宗家の北条義時・北条泰時・北条政子や鎌倉武士が皇軍を完膚無きまでに打ちのめして、天皇の荘園を奪い、天皇を島流しにした。

 その後、北条泰時は御成敗式目をつくって、善政を敷き、天皇を島流しにしたにも関わらず、すこぶる評判が良い政治家である。その状態が数百年の長きにわたり、日本は繁栄した。

 平家物語で、後白河法皇に命を捧げるやつなんていたか?

 これが、日本の伝統である。



[ 2015/06/20 09:33 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)