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グローバルな鎌倉北条家

得宗・北条時頼

 

大河ドラマ北条時宗では渡辺謙さんが演じていた。

北条時宗の父。出家したため最明寺殿とよばれていた。

 

北条時頼は禅宗に帰依し、1253年(建長5年)、宋の蘭渓道隆を招いて建長寺を開創した。

 『吾妻鏡』は、時頼について「平生から武道をもって君を助け、仁義を施して民を憐れみ、天道の理にかない、人望があった」 と語っている。

http://www.kenchoji.com/?page_id=133

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◆北条時頼の撫民政策
 鎌倉の古刹・建長寺(鎌倉市)は、鎌倉幕府の5代執権・北条時頼によって建立されました…御成敗式目の制定から14年後、幕府の実権を握った人物です。
時頼が執権に就いた13世紀半ば、幕府の中には依然として有力武士の権力闘争が続いていました…時頼は、当時最大の勢力を率いて幕府に反乱した三浦氏を攻め滅ぼします。
これによって自らの地位を確固たるものとし、幕府の政治の安定に乗り出します…時頼が最も心血を注いだのは法令を無視して農民に不法行為を繰り返す武士たちの統制でした。
その政策を伝える資料が東京大学に残されています…御成敗式目の後に出された追加法をまとめたものです。…建長5年、時頼が始めたのが撫民政策でした…年貢収入の基となる農民を撫でるように大事に扱おうというのです。
「民が大金を盗むという重罪を犯しても本人一人の罪であり、親類妻子まで罪に問うてはいけない」
「民と掴み合いをしても武士にけがが無い場合は、罪に問う事は出来ない」
時頼は撫民政策に従わない武士たちに厳しい処罰を課していきます。
更に時頼は撫民政策を浸透させる為、武士そのものを変えようとします…日本に伝わって間もない禅宗を取り入れ、建長寺を建立、厳しい修行を通して武士たちに慈悲や忍耐の精神を学ばせたのです。
また作務と呼ばれる寺の日常的な労働に取り組ませる事で決まりごとを遵守する素地を植え付けていきました…。
その後、幕府は鎌倉に次々と禅寺を建立、有力武士から末端の武士まで修行を奨励しました…こうして武士の中に民をいたわる撫民の心が徐々に芽生えて行くのです。

http://web.joumon.jp.net/blog/2014/02/1561.html

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