武田勝頼、滝川一益

武田勝頼

 甲斐武田家が滅亡した後、勝頼の首は京で晒された。信長は朝廷に手をまわして、勝頼を朝敵にさせたらしいが、武田信玄の嫡男がこのような有様になるとは、京の都でも衝撃はかなり大きかっただろう。本能寺の変は、これをみて、危機感を覚えた朝廷が明智光秀を操ったのではないだろうか。


滝川一益

 甲州征伐を指揮した滝川一益は本能寺の変で運命が変わる。毛利と講和した秀吉にたいして、北条との講和に失敗。しかし、毛利勢と早期講和をはかって、明智を討った秀吉はやはりすごい。






 




 


 

 


 



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[ 2016/03/10 22:24 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

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