カリフ制再興 ―― 未完のプロジェクト、その歴史・理念・未来 [単行本]

 未読ですがネットで書評検索してきになったもの引用。

http://d.hatena.ne.jp/martbm/20150216/1424016992

イスラームが人々の内心の信仰を問わないことを最も明瞭に示しているのが、預言者ムハンマドの弟子ウサーマ・ブン・ザイドが伝える以下の逸話である。
「アッラーの使徒がわれわれを遊撃隊として派遣され[中略]私は一人の男を捕え、その男が『アッラー以外に神はない。』と唱えたにもかわらず槍で刺し殺した。それを思い出し私は預言者にそれを報告した。すると使徒は『アッラー以外に神はないと彼は唱えたのか、それにもかかわらずあなたは彼を殺したのか。』と言われました。
私はこれに対し『使徒よ、彼は殺されるのを恐れてその信仰告白を口にしたのです。』と言うと、使徒は『お前は心の底からその告白がなされたのかどうか知るために彼の胸を切り裂いたのか。』と言い、何度もその言葉を繰り返されました。」(ハディース:ムスリム)

キリスト教社会の特徴はこの「内面」の支配にあると言えるのではないだろうか。人はなにかを考える。その場合に、その考えていることが危険だったら、その人は危険だ、と考え、それをコントロールしようとするのが、一種の心理学主義と言えるだろう。つまり、心理学という学問に求められるのは、その人の考えていること、心理状態の危険度によって、その人を精神病院の中に閉じ込めることにある。キリスト教的な社会のコントロールの方法は、人の「内面」を「計算」して、その人の「考えていること」を見つけだし、異端審問をするところにある、と考えられる。

この場合、大事なポイントは「人々をこの社会を破壊する行動に出ない」ようにコントロールする、社会システムにある、

ここから、キリスト教社会の一つの、人間支配の形態が現れる。麻薬などを使って、人々を「理性的」に考えさせない。むしろ、狂っているということは、人間が得意とする言語能力が衰えて、むしろ、危いことが考えられなくなることで、動物に近くなり管理しやすくなる
わけである。この社会を破壊する方法のような、危険なことを、そもそも「考えられなくする」ことによって、この社会の「秩序」の維持を達成する。



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http://agora-web.jp/archives/1635339.html

この後半の現状認識は、私もおおむね賛成だ。いま中東で起こっているイスラームの拡大は一過性の混乱ではなく、近代の主権国家という矛盾したシステムが自壊する過程である。近代世界の貧困と不平等を生んだのはグローバル化ではなく、資本と物を自由に移動して人の移動を禁じる不十分なグローバル化なのだ

「ナショナリズムとは、18世紀に生まれた部族主義の新たな形態である」(p.185)。それは「法の支配」と自称しているが、実態は国家や企業などの法人という擬制で統治する「人による人の支配」である。
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[ 2015/03/17 22:32 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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