源氏

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4 名無し三等兵 ??? 2012/05/25 22:29:04.96
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平氏も北陸を実効支配して兵站を確保していれば敗北しなかった。
義仲も養和の大飢饉がなければ京で強引な徴発をする必要が無く
朝廷から見放されはしなかった。
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70 名無し三等兵 P/3f1W6/ 2012/06/06 20:20:54.84
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ちょっと話題転換。「平氏は兄弟仲がよかったのに、源氏は内輪もめばかり」なのは、
西国がやっぱり、あづまえびすの地より豊かだったからではないか?

今でこそ米は東北北海道でも取れるけど、戦前まで米どころといえば温暖な九州だった。
海に近く、海産物が豊富な上、貿易でも儲けられたから、多くの人口を養うことができ、
一門にそれぞれ分配して生きていくことができたのではないか?

一方、東国では江戸時代になってもまだまだ上方にかなわなかった田舎。
関東平野では現在でも畑作中心だし、奥州では冷害が毎年のように来た。
なので惣領家が食料を独り占めするべく、親子兄弟でも容赦なく争ったのでは?

治承の飢饉が運のつき。旱魃で西日本は大凶作だったのに、東国では「旱魃に不作なし」
ハングリー精神に満ちた荒エビス相手に、平氏の政治・経済官僚たちは負けてしまった。
一方、源氏も、惣領家が死に絶えたとき、スペアになる人を自分で全員滅ぼしていた。

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154 名無し三等兵 2bB7lLC3 2012/06/12 19:57:45.47
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源氏重代の刀「友切」
きっと、友人縁者といえど容赦なく切りまくったようないわれがあるんだろうな。
非情ではあるけど、「いざとなったら、一族郎党討ち死にするより、
一人でもいいから生き延びろ」という意味があったのかもしれない。
土地柄、「津波てんでんこ」なんてことも少なくなかっただろうし。

で、後世のような大軍団の激突ならまだしも、武士が生まれたころは、
まだ村単位の自衛団みたいなものだったろうから、
「おい、おれは何村の住人の某だがお前は誰だ?」
などと誰何して敵味方を識別していたのが名乗りの起こりなのかもしれない。
(現代の暴走族のタイマンも一騎打ちの一種かも。でもあれも漫画の中だけなのかな?)

平家方は「一門一蓮托生」だったのは、舟に乗ることが多かったからかも。
舟に乗れば呉越同舟、たったひとりの不注意で全員が遭難しかねない。
だから舟長(大将)の命令一下、一糸乱れぬ集団行動が必要となるが、
でもうまくいったら利益はみんなで公平に山分け、ということが多かったらしい。
(みんながそれぞれ自分の仕事をがんばったからこそ全員がうまくいったから)
戦でも古代以来、船団同士の集団戦だったようだし。

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220 名無し三等兵 n55os1WU 2012/06/19 20:00:42.69
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源氏があまり貿易に乗り気でなかったのは、やっぱり田舎百姓だったから?
当時、大陸貿易は大儲けだったから、西国の平家はもとより、奥州藤原氏までもが南宋と貿易。
両者とも豊富な経済力を持ち、しかもそれを惜しげもなく朝廷への工作資金に使った。
対して源氏は何をしていたのか?ろくに米もとれない草深い東国のこと、
義朝が冷遇されたのは信西が意地悪なだけだったからではなさそうに思う。

鎌倉時代になると貿易はほとんど下火になる。わざわざフビライのほうから
「平和的に貿易しましょうよ」と申し出てくれたのに断るし。
その後、室町時代になると、足利義満や織田信長以下、国をあげての大貿易時代となるが、
農本主義の徳川政権になるといきなり鎖国。でも官僚化が進むと蘭学解禁。

武装農民だった武士は自分の土地が全てだから、外国へ関心がむかないんだろうか?


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230 名無し三等兵 n55os1WU 2012/06/19 22:10:58.58
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ただ、平氏のほうでも「武士の世の中」というより
貴族政治そのものをあこがれ・目標としていたために、
「一門殿上人になれたぜうれしい!!」で満足してしまって、
元々の仲間・武士をバカにするようになったために、
田舎武士そのままの源氏に負けてしまった感がある。

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234 名無し三等兵 ??? 2012/06/19 22:47:24.22
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別に平氏が源氏に負けたわけではなくて
清盛の一門が坂東平氏を従えた頼朝に敗れた訳であって・・
強固な地盤のあった清盛一門に比べて頼朝はいわば居候みたいな立場だったし
おかげであっさり一門根絶やしにされたしな

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235 名無し三等兵 ??? 2012/06/19 23:36:34.78
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>おかげであっさり一門根絶やしにされたしな

そのあと公家を将軍に持ってきてるのを見ても
坂東武者には頼朝死んだ時点で源氏は用済みだったんでしょ。
室町時代の関東公方ってのも結局は関東の連中の「飾り」

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239 名無し三等兵 t6XeXuM+ 2012/06/20 20:02:44.14
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頼朝が自分自身で直接やったことといえば、石橋山だけ。しかも負けてる。
他は全部部下任せ。今までは「有能なブレーンを使いこなしてた」という評価だったけど、
実は単なるお飾りで実権なんかなかったのかも。

「頼朝なら傀儡でいいけど義経や義仲はそうはいかない」と思ったのは取り巻きのほうだったりして。
で、頼朝本人も謎の死。案外、用済みになったから暗殺されたとも考えられる。

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243 名無し三等兵 ??? 2012/06/20 23:52:30.91
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しかし頼家の件は言い訳不能だろ
頼朝が亡くなるなり将軍の権限を縮小しまくりの上に陪臣を追放・殺害
一時危篤になると跡継ぎと妻の実家を皆殺し
頼家の回復後は開き直って将軍を何の権限も無く勝手に罷免したのちに暗殺


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387 名無し三等兵 DeiOj850 2012/07/30 20:53:38.87
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平清盛が音戸の瀬戸や大輪田泊を整備したことばかりをいわないでほしい。
博多津の原形となる袖の湊を造ったこともいってほしい。
というのも、個別に言ったのでは、単なる港湾整備事業にしかみえないからだ。

だが全体をみると、「関西・九州を結ぶ高速大量輸送ネットワーク」を造ろうとしたのだと思う。
バラマキ公共事業よろしく、当時中継地として要衝だった厳島など沿線の整備にも大盤振る舞いしたから、
「環瀬戸内海海上経済圏」みたいなのができてたようだ。
清盛以降はご褒美を渋るようになったから、水軍の多くが源氏方に寝返ったけど。

都を内陸の京から、港湾都市・福原に遷したのも先見の明があると思う。
ひょっとしたら、「帝も巨大な宋船を見れば気が変わるかも」と思ったのかもしれない。

しかし志半ばにして挫折。わが国が再び貿易に乗り出し、文化の華が開くには、
源氏の流れを汲む足利氏の時代を待たねばならなかった。
そして関東で「文化」という言葉が使われたのは「元禄文化」が初めてのように思う。

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419 名無し三等兵 ??? 2012/08/20 21:08:33.25
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当時はまだ身分の高さのほうが重要で武力だけで政権は取れなかった
平氏も源氏も院近臣達の権力闘争や悪僧取り締まりに利用されていただけの段階
その上ともに敵味方に分かれており別に源平で色分けなどされていない
最大の武力を有していた清盛にしても自身の私兵などたかが知れており
錦の御旗を得て公的動員をかけなければ本格的な軍事行動など起こせなかった

平治の乱の合戦の主体はあくまで信頼や信西達であって武士達ではない
むしろ平治の乱で貴族の有力者達が自滅する形で一掃されたことが清盛一門台頭の決定打だった

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427 名無し三等兵 ??? 2012/08/22 01:44:22.18
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清和源氏の中の河内源氏の中の、義朝流というほんの一派を、源氏の総本山みたいな言い方している時点で知識がしれてる。
その義朝が河内源氏の嫡流というのも、頼朝が作った話臭いのにな。

まあ、江戸時代から明治時代につくられた戦国観と同じに考えてる時点で、糞っぽいノベル先生と同じレベルなのは確か。

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438 名無し三等兵 ??? 2012/08/25 01:37:05.11
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清盛一門は京の治安維持を任されたせいで悪行三昧してた寺社勢力に逆恨みされ
経済改革推進のせいで商人を敵に回し
中央集権化しようとして在地勢力を敵に回し
もう最後は平氏の殆ども頼朝に味方して日本中が敵にまわって袋叩きだからなw

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439 名無し三等兵 ??? 2012/08/25 07:51:26.57
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平家の滅亡は河野水軍の裏切りが大きいんだよ
あれがなければ十分押し返せていた
義経の功績みたいに言われているが、実際は河野水軍のお陰

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440 名無し三等兵 ??? 2012/08/25 07:53:04.14
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清盛一門を助けて河野水軍にどんな利益があるというのか
いないほうがよくない?

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441 名無し三等兵 ??? 2012/08/25 09:52:14.46
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大陸と福原との行き来する船が増えると、この連中の懐も豊かになるもんだよ
宗盛はそうした感覚が乏しかったので、見捨てられたんじゃないの?
清盛の子らは、皆、政治の教養は高かったみたいだけど、経済の教養が不足していた

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442 名無し三等兵 bQGCt9pJ 2012/08/25 19:57:20.62
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「宋船の荷を博多でばらして、京まで海運業者が運んでいたのに、
 直接福原に宋船が来ると、それまでの海運業者の仕事がなくなるから裏切った」と、
昔、松平アナウンサーが解説してますた。

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443 名無し三等兵 va4niith 2012/08/25 20:24:34.72
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他所の港に拠点が移るんじゃなくて
新規拠点開発なんだから
うまいこと食い込めば、海運業者的にも博多にいるより美味しそうなんだがなぁ・・

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444 名無し三等兵 bQGCt9pJ 2012/08/25 21:25:37.24
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「博多と福原とできたから貿易量が2倍になる」わけではなくて、
他所の港に拠点が移るだけだから、そりゃ博多商人は怒るよ。
もっとも、博多商人とも懇意だった清盛が、ただ自分の利益だけを考えて
福原を造ったとも思えない。双方利益になる利点があったのかもしれないけど、
もはや歴史の謎として、わからないとしかいえない。

ちなみに白村江の戦い以来、朝廷は関門海峡以東に外国船が入るのを許さなかったそうだ。
難波津こと堺が復活するのは室町期。でもどうして清盛は神戸に目をつけたんだろ?
そして近代以降、堺ではなく神戸が発展したのはなぜなんだろう?

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469 名無し三等兵 LfYHocfe 2012/08/28 21:39:36.38
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>>440-441
平時の海運業者は有事の水軍。
棟梁を継いだ宗盛も、父・清盛が編成した水軍には大いに恩義に感じたことだろう。

>>443
清盛は、大輪田泊だけでなく博多の「袖の港」も開発している。

大宰府には清盛・頼盛が続いて太宰大弐に就任しており、
さらに就任在庁官人のの大宰大監・原田種直は平家配下。

清盛は、博多を宋と福原を結ぶ重要な寄港地として重視していたに違いない。
博多・大宰府の地位をことさら虐げる理由はない。

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470 名無し三等兵 LfYHocfe 2012/08/28 21:48:08.68
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>>444
清盛は、後白河と提携し、宋との国交関係を回復することで、
平家の私的な密貿易を正式国交下の公的貿易に変化させた。
航路・港湾の整備もあり、貿易量は格段に増えたことだろう。

積替荷役は減少しても、寄港船舶の増加による市場の活性化、
消費の拡大の効果のほうが格段に大きかったに違いない。

大輪田泊は、都という「大消費地に近く」、急峻な地形のため「水深が深い」天然の良港。
現代の拠点港湾選定に至るもこの大原則は不変であり、清盛の先見性がうかがえる。

彼自身が播磨守に任命されており、父の海賊討伐関係で
プライベートでも福原近辺に何らかの縁があったのかもしれない。

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471 名無し三等兵 ??? 2012/08/28 22:04:07.46
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>>469
河野水軍の利益はどれ?

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472 名無し三等兵 LfYHocfe 2012/08/28 22:05:55.75
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>>439
むしろ、以仁王挙兵から壇ノ浦直前まで4年半にわたって大半の西国水軍が平家に従ったのは、
清盛の貿易振興政策を恩義に感じたからだろう。

頼朝が成功した理由に「在地御家人の利益を代弁したから」がよく挙がるが、
水軍から見れば平家こそが自らの利益の代弁者だった。

平家滅亡から400年ほどの間はせっかく平家が大人しくさせておいた水軍が
やはり海賊に舞い戻って西国の海上は世紀末状態となるのだから、
後処理をノープランで放置した頼朝・義経はまったく罪作りな男だ。

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473 名無し三等兵 ??? 2012/08/28 22:11:07.01
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結論として河野水軍は平家を滅ぼしたほうが利益が上がった

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474 名無し三等兵 LfYHocfe 2012/08/28 22:12:26.44
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>>471
むしろ河野こそが西国水軍の異端だろう。
平家は伝統的に山陽道を重視してきたから、伊予の河野にとって平家の天下は苦渋の日々だっただろう。

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499 名無し三等兵 ??? 2012/08/31 22:32:29.40
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範頼は義経なんかよりがんばっていると思うんだけど、後世の校正作業で抹殺されてんだよな

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500 名無し三等兵 ??? 2012/08/31 22:37:15.83
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>>499
地道に頑張って成功する人は、物語のヒーローには向かないんでしょう。
孫子さんも言ってるじゃないですか「善く戦う者の勝つや、知名も無く勇功もまた無し」

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501 名無し三等兵 49KPs3Z+ 2012/08/31 22:37:56.13
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>>499
北条史観のバイアスがかかってない、確定史実だけ見れば
義経より、ずっと評価されてるだろ

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502 名無し三等兵 oAiUH/4x 2012/08/31 22:42:56.07
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でも義経の死に様は誰でも知ってるのに、範頼が惨殺されたことは誰も知らない。
あれだけがんばったのに本当にかわいそう

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504 名無し三等兵 ??? 2012/08/31 23:00:13.09
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しかし源氏の嫡流はまともな死に方したのがとことんいないな…
頼朝も暗殺説強いし
狡兎死して走狗煮らるとはいえ、ホント呪われている感じ

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506 名無し三等兵 ??? 2012/08/31 23:30:08.86
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義家の系統は、義家から駄目な死に方が多いな

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508 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 09:33:31.28
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>>504
義経以外は普通に北条氏に謀殺されただけじゃんw
政子が実子を全然守る気が無かったのも大概だけどな
娘はああも溺愛したのに息子は殺すってあたり
多分通説とは違って頼朝のこと相当嫌っていたんだろうな

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509 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 11:42:14.13
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源平合戦で死んだ連中を除くと
・頼朝:事故死(暗殺説あり)
・範頼、全成:謀殺
・義経:叛乱の末戦死
・頼家・実朝:暗殺

……なに、この呪われた一族

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510 名無し三等兵 s115ldGX 2012/09/01 15:06:28.78
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大半が戦死と入水だった平家のほうがまだすっきり滅びてるな。

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511 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 15:44:52.79
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平家(清盛一派)は一族の結束が固かったんだよな
それで平家は栄えたが敵を沢山作る事にもなった
結局神輿は軽くて馬鹿がいいって話だよな頼朝の勝利と清和源氏の滅亡は

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512 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 16:06:20.89
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平家→義仲によって都落ち→義経によって滅亡
義仲→義経によって滅亡
義経→頼朝によって滅亡
頼朝→北条によって滅亡

平安末期マジ諸行無常

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514 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 17:21:55.05
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>>513
宗盛は軍記物語の描写で貶められすぎ。
頼朝と同じで前線に出られなかったから仕方ない面もあるが。

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515 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 19:08:17.20
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史実では宗盛の評価はそう悪くないだろう
既に敗北必至の詰んでる局面で後を継がされたのが不運だったな

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516 名無し三等兵 ??? 2012/09/01 22:28:31.77
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義家 息子(義親)を討ち取りに行く途中で急死
義親 甥の為義に討たれる
義親 心でも偽者がゾンビのように登場する
義忠 叔父の義光に暗殺
為義 息子の義朝に斬られる

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518 名無し三等兵 ??? 2012/09/02 05:31:59.18
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義朝 家人の義理の父に殺される
義賢 兄・義朝に殺される
頼賢 兄・義朝に斬られる
為朝 息子を殺し自分も死ぬ
義広 甥・頼朝に殺される
行家 甥・頼朝に殺される

この兄弟がいちばん凄いな

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522 名無し三等兵 6L96cws5 2012/09/02 22:08:55.89
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>>521
そういう、騙し討ちとか裏切りとかで出世するの、歴史的にいい死に方はしないよ、ってこと。

北条家も得宗家と一門との内紛、さらに三浦氏・和田氏・比企氏らとの抗争が絶えなかった。
源氏の末裔・足利家も初代尊氏以来身内同士との政争の挙句応仁の乱勃発。

自称平家の織田信長は、長益以外の兄弟が全員変死してるけど、
少なくとも自分からひとを裏切ることはあまりなかった。でも家臣が次々に原因不明の裏切りを続ける。
豊臣秀吉は、主家織田一族のほとんどを謀殺。源義朝ゆかりの寺で自刃した信孝の辞世、
「昔より主を討つ身の野間なればのちの報いを待てや秀吉」 果たして家康に裏切られて滅亡。

だが、自称源氏の徳川家康は、身内の争いをほとんどしてない。
長男信康を自刃こそさせたものの、三河一向一揆もそんなに苛烈な処分はしてない。
そして三河武士団一同、家族同様に忍従の日々に耐えた結束力が大きな原動力になった。

江戸幕府も決してきれいごとだけではないけれど、織田家は信長一人で全部やってたのに、
徳川家は将軍が子どもでも知能障害でも、家臣が謀反を起こさず結束できるようにしたのは強い。

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523 名無し三等兵 ??? 2012/09/02 22:37:12.22
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徳川家は家臣の領地を極端に抑えることで主家に対抗出来ないようにしてた
そんな綺麗事じゃないよ
またそういう政策取れたのも天下統一事業を信長・秀吉がやってくれたおかげ
そのため家康は家臣に自主性を持たせて活躍させる必要が無かった

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524 名無し三等兵 ??? 2012/09/02 22:56:45.08
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河内源氏は、義親が元凶としか言いようがない

義親が大人しくしけとば、義家の寿命が長くなっていたかもしれない
平家がのさばるのはもっと後の時代だったかもしれない
義忠が平家に近づくこともなければ、義光に殺されることもない
義親が間違って為義に討たれることもないし
義親や義忠が生きていれば
義朝と為義が保元で戦う可能性も低かった

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532 名無し三等兵 DffUok// 2012/09/03 20:23:42.43
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◎清盛(1118-1181) :病死
  ◎重盛(1138-1179) :病死
    △維盛(1158-1184) :那智沖で入水?
    ★資盛(1158?-1185) :壇ノ浦の戦いで入水
    △清経(1163-1183) :豊前国柳ヶ浦で入水
    ★有盛(1164-1185) :壇ノ浦の戦いで入水
    ☆師盛(1171-1184) :一ノ谷の戦いで戦死
    ×忠房(11??-1186) :壇ノ浦後も抗戦→鎌倉出頭の後斬られる
    ×宗実(1175-1196) :経宗養子→断食死?
  ◎基盛(1139-1162) :病死
    ★行盛(11??-1185) :壇ノ浦の戦いで入水
  ×宗盛(1147-1185) :壇ノ浦の戦いで捕虜→鎌倉へ護送→近江国で斬首
    ×清宗(1170-1185) :父とともに捕虜→鎌倉へ護送→近江国で斬首
    ×能宗(1178-1185) :父とともに捕虜→鎌倉へ同行せず京都で斬首
  ★知盛(1152-1185) :壇ノ浦の戦いで入水
    ☆知章(1169-1184) :一ノ谷の戦いで戦死
    ×知忠(1180?-1196) :平家再興の挙兵を企てるも失敗、自害
    ◎知宗(1184-1255) :武藤資頼の養子→大宰大監?(→宗氏の祖?)
  ×重衡(1157-1185) :一ノ谷の戦いで捕虜→南都引渡後に斬首
  □知度(11??-1183) :倶利伽羅峠の戦いで戦死
  ☆清房(11??-1184) :一ノ谷の戦いで戦死

内輪揉めで死んでるのはせいぜい維盛と清経(どちらも入水)くらいで、
あとは病死か戦死か敵の手にかかって斬首って感じ。源氏のドロドロ感とはやっぱり違う。

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552 名無し三等兵 KH/jRljV 2012/09/08 19:42:52.30
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>>548
博識ですね。ではもうひとつうかがいたのですが、
毛利輝元が広島城下を整備する以前は広島湾は交通の要衝ではなかったのでしょうか?
厳島があるためだけの広島なんでしょうか?
だとしたら大内氏が毛利元就に負けなかったら、広島は山口に遠く及ばない田舎だったんでしょうか?

壇の浦については、最初大宰府を本拠にしていたのですがここも敵に攻められ、ついに彦島しか行き場がなくなったのです。
日宋貿易といっても、あくまで宋船から来て頂いてただけで、日本側から宋に行くことはこの時代はあまりなかったようです。
そこで一門の結束力の強い平家のこと、「死に遅れるよりみんな一緒に死のう」と集団自決を選んだのかもしれません。
「帝の御前」であればいやでも士気があがったでしょうし、幼い帝のためには女官も随行しないといけなかったでしょう。
もはや帰るところもない以上は、女性達もみんなと一緒にいることを望んだかもしれません。
そして負けたからには「あづまえびすから辱められてはならない、帝は永遠に平家のものだ」と
三種の神器もろとも、入水したのだと思います。全くの想像ですが。

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645 名無し三等兵 g1cXqvRA 2012/09/30 16:29:16.53
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中国は東は海、西は砂漠、南は山脈で守られていたから
唯一がら空きの北に万里の長城をつくった。
エジプトはスエズ地峡部を守ればよく、
インドも海と砂漠と山脈に囲まれてたから外敵はあまり来なかった。

開放的な地形のメソポタミアは自然の障壁が全くなく、
古代より多くの民族が栄枯盛衰を繰り返していた。
近年では石油まで出てきてますます複雑化。

「貿易で国を富ます」といっても石油を輸入に頼らないといけないのがアキレス腱。
清盛の時代なら「舶来品」を珍重していたのは公家だけだったろうけど。
庶民は税金で上の人がぜいたくしてくれることで景気よくなってたのかな?

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646 名無し三等兵 ??? 2012/09/30 16:34:34.93
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>>645
当然運輸業(水運・陸運)は発達するだろうし、鉱業や刀剣製造業も伸びただろう。
都市建設や港湾工事を行ったので建設業、新たな市場を開発したので小売業も。
平家財閥の直接雇用もあるだろうから、相当な雇用創出になったんじゃないの?

農業者にとっては殆どメリットがなかっただろうけど。

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647 名無し三等兵 g1cXqvRA 2012/09/30 16:45:00.02
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いいことずくめじゃねーか。なんで「平家憎し」になったんだろう?

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648 名無し三等兵 ??? 2012/09/30 16:46:39.84
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武力を持つ階層が農業従事者と重なるんだよ

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649 名無し三等兵 ??? 2012/09/30 18:04:02.62
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中央の宮廷権力と一体化して法律上権利が不確定な農村支配者を支配しようとしたからな
なにもせずアガりを持ってかれるようなもんだから、そりゃあ憎まれる

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651 名無し三等兵 ??? 2012/09/30 18:27:09.90
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>>647
清盛一門の勢力拡大に伴い寺社や在地の豪族などの権益と衝突したから
頼朝は神輿に徹してそれらの権益には一切手を付けなかった

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655 名無し三等兵 ??? 2012/10/01 13:21:39.52
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>>647
福原が決定打
政治の中心地に居宅がないと発言力が落ちるのが近代以前政治の特徴だけど
京の比重が軽くなって既存勢力全部がストレスを感じ出した

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656 名無し三等兵 4L7UgEBq 2012/10/01 19:26:25.51
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現在の価値観では「貿易立国バンザイ!!」だけど、
たかだか200年ばかり鎖国していて、でも享保以降は
江戸市中にもご禁制の品が結構流通していた時代ですら、
「開国」となるとあれだけ「攘夷」と実行不可能な大騒ぎになった。
それでも貿易によって諸藩もわりと儲かって幕府に対抗できるようになった。

平家の場合は「それこそ国禁を犯す成上り者」にしかみえなかったんだろうな。
まして、瀬戸内航路を私財で整備しただけあって貿易の儲けはほぼ独占状態。
反対勢力としては「いくらでもカネが出る打ち出の小槌を持った化け物」に思えたかもしれない。

それが地元・西国武士団はもとより水軍にすら見放される。通説では、
「苦労人の清盛は面倒見がよかったのに他はいばりちらしたから」といわれていたけど、
やっぱり銭の病?そして恐らく国民の9割をしめていた、武士という武装農民による、
「農民の、農民による、農民のための政治」が日本史上唯一、平家の血を引く北条氏が始めた、と。
(室町期以降の武士は官僚化・軍人化が進んで、一概に百姓とはいえなくなったが)

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670 名無し三等兵 ??? 2012/10/01 23:13:54.96
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>>655
福原から平安京の政治をリモートするのは、後の鎌倉を考えれば決して間違いとは言えない。
福原京の失敗は遷都の時期(諸国源氏の蜂起直後)と立地(主戦場の東国とは逆側)。運がなかった。

平家が滅亡した最大の原因は後白河の戦略眼のなさだろう。
自分を幽閉した平家憎しで義仲に付き義経に付き、最後は将軍号を与えないことが精一杯の抵抗。あまりにも無惨。
腐っても(元)治天の君だから表立って批判はされなくとも、同時代の人間からの人物評がすごすぎる。

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713 名無し三等兵 ??? 2012/10/14 16:43:14.21
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義経の武功って

1 宇治川:特に「義経がいたから勝てた」戦ではないような…
2 一ノ谷:大規模な迂回奇襲を成功させたらしいが、実体が今ひとつ解りにくい
3 屋島 :嵐の海を渡っての敵陣奇襲。凄い度胸と運ではある。
4 壇ノ浦:潮の流れを計算して…と言うのには疑問も出ているようだ。

微妙だなぁ。一ノ谷と屋島は、勝利に貢献しているように見えるけど。
壇ノ浦については、開戦時点で平家は戦略的には詰んでいたという見方もできるし。
一ノ谷の戦いは源平合戦の行く末を決めた一大決戦だろうけど、その後の戦いでは
義経が参加していないので知名度が低い、藤戸での源氏勝利が大きかったとも見えるし。

 

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714 名無し三等兵 Bm6naDD2 2012/10/15 08:39:57.75
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むかし、NHKでやっていたのには
義経って、実は戦のド素人だったらしいし。
ただ、いけいけドンドンの若者。

だから、坂東八平氏の武将たちが、義経の世話に苦労したらしい。
軍規をやぶって勝手に突っ込むからw
義経の八艘飛びなんて、勝手に危険を犯して、あわやって感じになったらしい。
それで、梶原景時が大激怒したとかw

それを頼朝に報告した景時が、なぜか後世は悪者扱い。
普通に考えて、京都で公家の多いところで育てられた義経よりも
坂東の御家人たちのほうが、戦慣れしている。

よく、源平の頃は1対1の戦していたとかいう説あるけど
あれは後世の講談の影響らしい。
あと、蒙古襲来のとき、源平から50年以上たち、
なおかつ、九州の御家人がバラバラでかけつけたから
ド素人な戦いをしただけらしい。

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717 名無し三等兵 ??? 2012/10/15 11:04:54.39
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>>713
富士川、宇治・瀬田、一ノ谷までは、甲斐源氏の功績なのが消されて、義経に摩り替えられたくさいんだよな
屋島、壇ノ浦は河野水軍の影響が強いし
義経の功績って言う程でもないけど、それらしきものは、三日平氏の乱時に京を護衛したくらい

その後は、決起しても人は集まらず、九州へ高飛びしようとして失敗
奥州へ逃亡して郎党全滅って人生だから、実はたいした功績ってのがなく
奥州藤原氏を滅亡させる口実を作ったくらいが日本史上の功績かな

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719 名無し三等兵 ifqkFGHs 2012/10/15 20:33:23.04
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みなさん、勉強してるんですね。
ひとつだけ確かなことは「史実通りの義経」を
大河ドラマで描いたら視聴率墜落すること。

「ズッコケ義経」なんておおよそ描かれることはなかった。
「牛バカ丸」が出る漫画が昔ジャンプに載ってたくらいかな。

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742 名無し三等兵 xTcUZTwi 2012/10/24 00:45:23.64
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治承・寿永の乱での平家側の敗北の理由は、
平家が公家化して弱体化したわけでもなく、
源義経が用兵の天才だったからでもなく、
養和の飢饉の影響で兵を集められなかったからなのでしょうか?

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743 名無し三等兵 ??? 2012/10/24 01:32:03.11
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富士川で負けたのが全てじゃね?
あれで鎌倉方は坂東を完全制圧する時間猶予を得ることが出来た
飢饉だの何だの言っても
軍勢を坂東から九州まで遠征出来ちゃう力を鎌倉方が確立した時点で詰みだ

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745 名無し三等兵 ??? 2012/10/24 11:47:59.77
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>>743
富士川で負けたといっても、その後、墨俣で優勢だった
そこから先へ進めない理由があったのだろう
表向き知盛の風邪って事になっているが
飢饉の影響は大きいと思う

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746 名無し三等兵 ??? 2012/10/24 12:13:48.64
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重盛から宗盛への嫡流交替による軍制の変化が完了しないうちに蜂起が勃発して
傍流に転落した連中が出発に際してサボタージュしたのも大きかったと書いてるな

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756 名無し三等兵 Ov7Tgv3z 2012/10/27 03:00:05.62
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平清盛はなぜこんな時期にという時に亡くなっていますが、
清盛の死は平家の滅亡を早めましたかね?
それともあのときになくならなくても治承・寿永の乱の結果は変わらなかったでしょうか?

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757 名無し三等兵 ??? 2012/10/27 07:47:59.81
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河野水軍し熊野水軍の裏切りは無かったと思うな
あと緒方

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758 名無し三等兵 ??? 2012/10/27 10:47:05.50
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>>756
清盛が生きていたら後白河院政の復活はない。
よって反乱軍は求心力を持ちえず、高倉-安徳をいただく平氏の正統性は揺るがない。

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759 名無し三等兵 r6UR2zZo 2012/10/27 21:02:07.08
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安徳帝が成人するまで重盛が生きていたら平家が摂関家になっていたかも。

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760 名無し三等兵 ??? 2012/10/28 00:56:32.15
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>>758
高倉天皇は清盛より先に亡くなってるんですが ?

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762 名無し三等兵 ??? 2012/10/30 07:52:39.44
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清盛は後白河院政を厳しい監督の下に置く方針で一貫してたから、
少なくとも清盛存命なら、官軍の不振はあっても一門滅亡とかそういう状態はなかったと思うね。
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[ 2012/11/29 16:12 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

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