真田丸 最終回

真田丸最終回でした。

 

 

 

実際の真田幸村は豪傑ではなく、大人しい感じのタイプだったと思います。真に力を持っている者は豪傑のようにふるまう必要がないからです。

 

ということで、ドラマの配役的には有りなんだと思います。が、どうも馬上の堺雅人に迫力がなかったです。鎧を着せられている感がでていたました。筋力が足りないのかなあ・・

 

風林火山の最終回では、山本勘助が馬上で戦闘するシーンがありましたが、とても迫力がありました。最後は、勘助は敵に首をとられ、武田軍がその首を奪い返し、信玄らが勘助の首と胴体をつなげ、勘助の顔が笑っていると会話します。(勘助は真田の援軍がきて喜んだところで首を取られた)

 

風林火山の最終回を知っていたので、真田丸の最終回は幸村の首実検のシーンを期待していました。

真田丸の最終回は、きり、真田信伊が幸村の首実検に立ち会い、幸村では無いのに、幸村の首だと二人が証言することを期待していました。(信伊は史実でも幸村の首実検に立ち会ったらしい)

そして、ラストシーンでは幸村とキリが、真田の新しい領土の松代で田んぼを耕している。

 

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[ 2016/12/19 21:52 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

豊臣秀頼と土佐一条氏

先週くらいの真田丸で秀頼が四国への国替えは了承した逸話があった。

 

そもそも四国は関白一条氏の領地であったところである。関白一条教房が応仁の乱をさけて、四国の土佐に逃げ延びたのだ。

 

よって、関白の末裔である豊臣秀頼が一条氏の旧領にはいるというのは、とても現実的な話だと思うし、なんとかギリギリ対面を保てる選択だったと思う。

 

この一条氏を滅ぼして勢力を伸ばしたのが、長宗我部氏である。長宗我部氏の栄枯盛衰は次自業自得という気がするのである。一条氏の末裔を粗末にあつかった。

 

戦国大名と下剋上。

名族を滅びた戦国大名もことごく滅んでいる。家康は名族は高家という形でなるべく残そうとした。

 

関白・土佐一条氏 -長宗我部元親

管領・斯波氏 -織田信長

管領・細川氏 -三好長慶

関東管領・上杉氏 -北条氏康

大内氏 -陶晴賢

 

信長を戦国大名というが、管領斯波氏の部下の部下である。

 

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[ 2016/12/11 19:53 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

毛利勝永

真田幸村、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤又兵衛、明石全登ら、大坂牢人衆は見事な戦いぶりであった。

 

信長の野望では、毛利勝永のグラフィックが急に美化されたようで・・・。

 

 

 

 

 

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[ 2016/12/05 23:05 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

武田信玄は名将???

2ch戦国時代板の武田信玄スレッドがなかなか面白い

もし武田信玄が桶狭間の後、美濃に進出していたら? その2 [無断転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1480161578/

 

 

<前提知識>

●甲斐武田

前提知識として、源氏一族は身内で殺し合う野蛮な伝統がある。武田も源氏一門である。対称的に、執権北条氏や平清盛一門は身内が結束している。

http://ameblo.jp/g0mao/entry-11415853253.html

 

そもそも将軍である源氏の足利家も鎌倉幕府執権であった鎌倉北条一族を裏切った経緯がある。(しかも、足利尊氏は執権赤橋(北条)守時の妹が正室である。足利義詮は鎌倉北条の血が流れている)

http://ameblo.jp/g0mao/entry-12061455934.html

 

そのような荒々しい源氏の末裔たる武田氏だが、応仁の乱以後は国人衆たちの力が強まり、守護たる武田氏は弱い存在だった(武田信満)。信玄の父信虎は中央集権を進めるべく、改革を行い甲斐を統一したが、国人衆たちに反発され、担がれた信玄によって甲斐を追放された。

 

●周囲の情勢

鎌倉幕府執権北条家は新田義貞によって滅ぼされたが、求心力に乏しい足利家は関東をうまく統治することができなかった。鎌倉公方として足利一門をおいたが、執権北条氏とはなんの関係もないのに、北条を名乗った北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条5代が関東を支配することになる。鎌倉公方は北条に滅ぼされ、関東管領は上杉憲政から上杉謙信に引き継がれることとなる(長尾家の家格は低く、上杉家とは血縁関係もない)。甲斐武田氏は室町幕府の役職としては守護であり、上杉謙信の関東管領よりも地位は低い。(といっても、関東管領も鎌倉公方もなばかりのものであるが)

 

今川家は源氏一門である。今川、武田、関東管領上杉、鎌倉公方足利家は名族であり、小田原北条家は下剋上でなりあがった一族である。

 

<信玄は名将??>

武田信玄は小田原北条と今川に力で劣っていたがために、勝てないと判断しかれらと同盟を結んだ。そして越後の上杉謙信と戦うことを選んだわけだが、上杉謙信の領土を奪えなかった。

やむを得ず、今川家を攻めることを決断するわけだが、ここで、今川と婚姻関係のある北条と敵対することとなる。そして、武田義信を廃嫡。後継者は武田勝頼の息子であり、勝頼はその陣代とした。

武田信虎が進めていた中央集権化は信玄によって未完に終わった。後を継いだ勝頼には忠誠心の低い国衆たちが残った。彼ら源氏は野蛮人であり、主君への忠誠などはほぼ持っていなかった。

 

信玄は今川と北条と同盟を維持したまま美濃を攻めればよかったわけである。今川と縁切りをしたために四方八方を敵に囲まれてしまった。今川を縁を切らなければ背後の北条から攻められる恐れはない。勝頼は織田と徳川と北条から同時に攻められた。今川を縁切らなくとも、氏真に器量はないため、いずれ武田が今川を併呑した可能性もある。武力は必要なかった。

今川と縁ぎらなければ、今川家臣の徳川家康に対して、北条・武田・今川と連合して攻めることができた。武田・今川・北条の連合軍に対して、織田と徳川は簡単には手をだせず、信長の甲州征伐はありえなかったと思う。信長は武田と同盟関係を維持し、美濃以東には手をだせなかったのではないか?とすると、秀吉や家康が日本を征服する可能性はかなり低くなり、応仁の乱の後の混乱があと100年ほど続いたかもしれない。

 

<武田信玄は将軍にはならない>

武田・北条・今川の連合軍で信長を討伐し、京を征服した場合、彼らは武田・今川が管領となり、足利将軍を据えて執権政治のようなことをやる可能性が高いと思う。北条は鎌倉公方に任命である。

武田や今川といった名家の武将たちにとって、中央集権的な日本というのは想像しにくく、三好長慶や大内義興のようなポジションを目指すと思う。北条は関東以外には興味はなく、中央の争いにはかかわろうとしない。織田・豊臣政権による全国統一がならなかった場合は、室町幕府のようなものが続くと思う。

 

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[ 2016/11/27 16:21 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

石田三成は忠臣なのか?

 

信長の野望・戦国立志伝の石田三成の能力。今回の石田三成はグラフィックがかなり美化されましたね。

 

三成は忠臣のように言われますが、実際は野心に満ちた男だったと思います。家康に対して挙兵に及ぶなどという大胆な発想は、権力欲がないとできないでしょう。仮に家康を打倒していたならば、秀吉が織田家から権力を簒奪したように、秀頼から実権を奪ったと思います。

 

秀吉が光秀に討たれていたら、秀吉は忠臣として歴史に名が残ったでしょう。

 

 

 

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[ 2016/10/14 22:11 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

鎌倉時代から江戸時代まで同じ土地をおさめた領主

鎌倉時代に源頼朝から領地を安堵されて江戸時代までそれを保ったのは南部、相馬、島津だけ。当主はご存命です。


南部氏

46代当主南部利文

 

旧南部領の人たちは、今でも大事にしてくださる人が多いです。旧士族だけじゃない。農家の人にも「うちは江戸時代から先祖代々ここで畑やってます。殿様のおかげです。ありがとうございます」なんて言われることがあります。

https://dot.asahi.com/wa/2014060400122.html

 

相馬氏

第33代当主相馬和胤

(奥さんが麻生太郎の妹)

 

2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。福島第一原発は、昔の相馬藩領内にあります。相馬地方は甚大な被害を受けましたが、相馬氏が治めていた約700年間にも何度か津波を経験しています。さすがに放射能は初めてでしたけど、地元のみなさんの強い思いと、国内外からのご支援があり、大震災の年にも相馬野馬追(のまおい)は行われました。いつの日か必ず復興すると確信しています

 

第34代当主相馬行胤

原発避難、「藩主」ら集団移住構想 相馬から広島へ

 【逸見那由子】東京電力福島第一原発事故の被災者が、集団で広島県神石高原町(じんせきこうげんちょう)に移住する構想が持ち上がっている。福島の旧相馬中村藩主家34代当主・相馬行胤(みちたね)さん(38)と神石高原町の牧野雄光町長が11日に町役場で記者会見し、明らかにした。20~30家族が関心を寄せ、早ければ夏にも移住が始まるという。

http://hibi-zakkan.net/archives/25738418.html

 

島津氏

第32代当主島津修久

だけです。

末裔の方はご存命であって、鎌倉時代からの御家人という出自で、しかも800年近くも殿様であったから、現在でも土地の人々から慕われています。

 

 

 

 



[ 2016/09/25 10:14 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

自分の軸を持つ

人間が悩むときは、大きな決断をするときです。しかし、自分や周囲の人々に利害関係が正しい判断ができなくなる。周囲の雑音を無視して、大きな判断をする場合には、大局観や俯瞰的な視点が必要。

 

これが、欧米圏ではキリスト教の価値観であり、イスラム圏では預言者ムハンマドの言行録であり、そして、中国では儒学なのであろう。未来の官僚に儒学を叩き込むために科挙を行った意味もわかる。儒学を頭に叩き込んで、政治判断を誤らないようにするためだ。

 

日本では、中国の古典、すなわち、儒学や孫子、六韜、平家物語や吾妻鑑など。また、家訓『六波羅殿御家訓』『極楽寺殿御消息』などであろう。

 

徳川家康が日本を征服したのも、大きな判断を間違わなかったから。平家物語で平清盛が情にまけて、源頼朝を助命したエピソードを知っていたからだ。豊臣秀頼を殺害したことで、徳川家の体制は盤石になった。

 

豊臣秀吉が吾妻鏡を参考にはしなかった。身分の低い北条得宗家が道理を重んじて、民を撫でる政治を行い、公家や武家からの尊敬を集めたことを参考にしていたら、豊臣の天下は100年以上は続いていただろう。

 

 

株式投資で置き換えると、自分はピーターリンチがそれにあたると思っている。たいていのことはこれに書いてある。特に久しぶりに読むと、かなり参考になる。

 

名著には普遍性があり、判断に迷ったら、自分の軸を安定させる意味でも、読み返したほうがいい。

自分は武田信玄投資法(大勝ちは慢心のもとになり、危ういので、小さな勝ちの積み重ねでよい)と、徳川家康投資法(判断に迷ったら、古典にたちかえる。)と勝手に名前をつけた投資手法でこれからもマイペースで続けていきたい。そして、ピーターリンチを徳川家康の吾妻鑑の位置づけとして、常に、参考書として傍らにおいておきたい。

 

 

ちなみに、『六波羅殿御家訓』『極楽寺殿御消息』はネットで転がっているのを読んだ程度ですが、現代のサラリーマン文化にも適応できる普遍的なものだと思います。女遊びは同僚に誘われたなら言ってもよい、しかし、女はブサイクを選ぶべき(その場限りの関係にするために)、とか。

鎌倉北条家はそのうち脚光を浴びる時代が来ると思う。



[ 2016/06/05 19:40 ] 日本史 | TB(0) | CM(0)

鎌倉府の足利家末裔 足利頼氏

室町幕府の足利尊氏は子供(母は鎌倉北条家の最後の執権:北条守時の妹)に将軍を継がせ、弟の血統は関東支配を行った。それが戦国時代の足利家の分家(小弓公方家、古河公方家)である。

 

室町幕府将軍足利義教の時代に、義教が暗殺されたことがきっかけで(嘉吉の乱)、関東の足利氏の権威は低迷していき、落ちぶれることになった。そして、鎌倉北条家とは何の関係ないと思われる後北条家なる一族が台頭し、関東は北条王国になるのである。

 

信長の野望・創造 戦国立志伝 

足利頼氏は小弓公方家という落ちぶれた足利分家の人です。信長の野望でプレイすると雑魚すぎてどうしようもないです。統率1です。。

 

この人の父親は足利義明は後北条家との戦で敗死。里見家に保護されたようです。そして、足利義明の娘と里見家が婚姻関係にあったとwikiに書いてありますね。里見八犬伝の伝説もこのあたりが起源なんだろうか。

 

頼氏のお姉さんが秀吉の小田原征伐で一夜をともにし、それで関東足利家を復興させたらしい。秀吉は子供を期待していたらしいが、子供はできなかった。ここで子供ができていたら、足利家の血を引きますから、嫡男としての正統性は抜群です。いくら主筋の織田信長の血をひく淀殿とはいえ、信長も生まれは下賎であり(尾張守護の斯波氏の代理である織田家のその重臣筋)はっきりいって淀殿もただの側室で終わっていたのでしょう。

 

足利家の血筋だったら将軍に相応しいので、秀吉の政権構想も室町幕府の真似になっていたんでしょうね。

 

秀吉としては、主君の織田信長の政権を簒奪し、側室や息子をひどい殺し方で殺したこと、自分も部下にいつ裏切られるかと実は不安だったと思う。だからこそ、足利将軍の血筋にこだわったんだろう

足利将軍の血筋をひいていれば、信長よりも自分のほうが正当性があるから、気分的に楽だったのでは。

 

 

 



[ 2016/05/29 00:11 ] 日本史 | TB(0) | CM(1)